【名作デザインVol.2】ホットな日本の80年代デザインを知っているか?

デザインの名作を紹介するシリーズの2回目。今回は近年の80年代ブームも手伝い再注目されている、日本の80年代デザインを取り上げます。
音楽、絵画、そして映画においても70年代からの流れで実験的な要素が多かった1980年代。日本発のテクノバンド、イエローマジックオーケストラ(YMO)が世界でも大注目を集めました。そんな時代の中、日本のデザインがとてもユニークに花咲いていました。その傾向は特にグラフィックデザインに顕著に現れていたと思えます。目立ったデザインをピックアップしお話ししたいと思います。

※本文内に作品図版を載せたかったのですが、転載禁止のものほとんどでしたので、関連するサイトへのリンクを各項目に設置しています。こちらもぜひ合わせて確認してみてください。
 

時代背景

30年以上も前、1980年代の当時においては、この時代は全く評価されていませんでした。
(もっとも時代論とはそう言うものかもしれませんが・・・)

60年代、70年代と安保闘争がありましたが、80年代には学生運動、市民運動の気運はピークを過ぎ去り、しらけ世代と呼ばれる若者が広まりを見せました。彼らは「理解できない世代」というイヤミを込めて新人類とも呼ばれました。上の世代からはノンポリ(政治的無関心)をなじられた世代です。筆者もまさにその世代でした。
外からは、何事にも熱くならずに、マイペースで、涼しげと見えていたようです。

今のゆとり世代への評価と似た部分を感じますが、そのしらけ世代が消費や文化の勢いを支えていたのが1980年代です。
【1980年代の流行/年代流行】
http://nendai-ryuukou.com/1980/fashion.html
 

西武文化

80年代の日本のクリエイティブを語る時に欠かせないのが、当時の西武流通グループです。
西武百貨店、パルコが発進する文化的要素は多くの若者の心を掴みました。ポスター、イベント、商品構成などが注目され影響も大きかったと思います。現在のMUJIもこの時代にうぶ声をあげています。
また、CDショップWAVE、現代芸術のアールヴィヴァン、そして西武美術館、ミニシアターのスタジオ200などにより先端的な感覚のファンも獲得していました。

当時のグループの牽引役であった堤清二の文化戦略や、その嗜好性が大きく影響し、上記以外にも多くの文化展開を行っていました。
【西武のクリエイティブワーク/nostos books】
https://nostos.jp/archives/62122

・パルコのポスター
ファッションビルの草分けであるPARCOのポスターは常に、ファッション、デザイン、音楽系の人たちからリスペクトされていました。イラストレーター山口はるみが描く自由でポップな女性像は、はるみギャルズと呼ばれ男性にも女性にも支持されました。
【山口はるみ展 Hyper! HARUMI GALS!!/PARCO】
http://www.parco-art.com/web/museum/exhibition.php?id=957
石岡瑛子、井上嗣也など多くのアートディレクターがその個性的なイメージで火花を散らしました。
 

コピーの時代

バウハウスの時代から試行錯誤を続けてきたデザイン理論が、50年代アメリカで広告理論として1つの答えを生み出しました。その影響は日本にも及び、60〜70年代に一部の企業は積極的に広告戦略に取り組みました。
70年代後半頃からその成果が中小企業を含む、より多くの企業へと広がり、その要としてコピーが注目されました。コピーライター糸井重里、CMディレクター川崎徹のTV出演も手伝い、そのブームはデザイン業界にとどまらず、専門用語である「コピー」は多く一般的に知られることとなりました。

・糸井重里
現在では、ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)で知られていますが、80年代は広告のコピーで一世を風靡しました。西武百貨店の「不思議、大好き。」や「おいしい生活」は今でも名作コピーとしてよく取り上げられています。
ジブリ映画のキャッチコピーも多く手がけ『もののけ姫』の「生きろ。」や『となりのトトロ』の「このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。」などを手がけています。
【糸井重里の名キャッチコピー集/NAVERまとめ】
https://matome.naver.jp/odai/2148664623197883301

・仲畑貴志
70歳の現在も一線のコピーライターとして活躍していますが、80年代には広告デザインの業界ではすでにスーパースターでした。その卓越した技術は多くのコピーライターからリスペクトされています。
ウォシュレットの「おしりだって、洗ってほしい。」やベンザエースの「カゼは社会の迷惑です。」など商品特徴への切り口に目を見張るものがあります。
その他、「ココロも満タンに、コスモ石油。」、「目のつけどころが、シャープでしょ。」などがあります。
【大仲畑展mini/~コピーライター仲畑貴志のぜんぶのいちぶ~/AdverTimes】
https://www.advertimes.com/20160428/article223702/
 

無意味の意味性

60年代、70年代にアンダーグラウンドで花開いた実験精神が、80年代には好景気の支えられたためかオーバーグラウンドにも出現しました。表現としての面白さの過度な追求があったようにも思えます。

例えば広告に関して言えば、アメリカは多人種社会のために、分かりやすくコミュニケーションのスピードが速いものが好まれます。
しかし、日本ではやや曖昧でも伝達の用をなします。そこでイメージ優先な表現、ダイレクトではない婉曲的な表現、人目を惹くための奇妙な表現が闊歩した時代とも言えました。
こうした表現は、生活者の好況感が薄く、また費用対効果を短期的に求める現代では、なかなかクライアントの理解を得るのは難しそうですが、経済的にも精神的にも余裕のあった80年代の人々には、結果的に成果をあげました。

さらにこれらの試みは、クリエイティビティの発展につながります。現に現在のクリエイターに脈々と受け継がられ、さらに進化し続けています。

一例ですが、ラフォーレ原宿の広告は良い意味で80年代の表現を受け継いでいるように見えます。
【奇抜で目を惹く!ラフォーレ原宿の広告まとめ/NAVERまとめ】
https://matome.naver.jp/odai/2134268249250446101

・ヘタウマ=湯村輝彦、テリー・ジョンーンズ
今で言う「ユルい」につながる、技術はヘタでもセンスがウマい「ヘタウマ」のイラストレーターとして大ヒットしました。
アメリカナイズされた乾いたタッチでイラストのみならずデザイン、アートディレクション、絵本制作など幅広く活躍。後進に与えた影響は計り知れず、いまだに多くのクリエイターからリスペクトされています。
以下のリンクは80年代当時を振り返っている対談ですが、当時の空気感が伝わって来ます。
【湯村輝彦×糸井重里 ごぶさた、ペンギン!/ほぼ日刊イトイ新聞】
https://www.1101.com/terry/index.html
 

自覚のない80年代当時

現在になって振り返るとオリジナリティもあり、クオリティも高かった80年代日本のデザインですが、当時は高い評価を得られていた印象はありませんでした。
評価する世代、つまり上の世代は「アイデンティティの欠如」としてTVや雑誌で批判をしていました。また制作者側も自分たちがトップランナーとである意識はなかったようで、アメリカやヨーロッパのマネをするデザイナーも多くいました。

筆者がよく覚えているのは、ある有名男性ファッション誌がアメリカの「GQ」に掲載の写真家ブルース・ウェーバーによる特集ページをそっくりそのままパクっていたことです。
今では、炎上して大問題になるところでしょう。そこまでのコピーでなくとも欧米のコピーは多かったように思います。

80年代と現代を比べてみると、経済状況、社会情勢などは共通するとは思えません。しかし、一部のクリエイターたちは80’sの影響を感じる作風で活躍しています。それは、単に時代のリバイバルとしてのものかもしれません。
それでも、筆者にはこう思えます。テクノロジーの進化が与える期待感が80年代の好況感でのワクワク感と通じているのではないかと。

【名作デザイン】
Vol.1:映画タイトルバックを作った男、ソール・バス
Vol.2:ホットな日本の80年代デザインを知っているか?

メインビジュアル制作に携われる求人

ユウクリでは、紙媒体やWebサイトにおけるメインビジュアル制作や、大型キャンペーンの広告制作に携われる求人を多数取り揃えています。
雇用形態・働く期間についても、正社員はもちろん、派遣スタッフとして週4日以下で働いたり、フリーランスの合間に1,2日だけ働くという選択肢があります。
ご興味がある方はぜひお問い合わせください。

※1,2日のみのお仕事については、即日(依頼をいただいた翌日)スタートの求人が多いため、そのほとんどが求人情報に掲載されません。
1~数日程度のスポット派遣をご希望の場合は、オンライン仮登録よりご登録をお願いします。
オンライン仮登録


マス系・広告系の求人はこちら

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*