人材と人財と人罪

人材と人財と人罪

㈱優クリエイト 代表 高橋茂一

私が現在のリクルート(当時は日本リクルートセンター)でお世話になった後、優クリエイトを設立したのは1984年5月。振り返れば早いもの25年の歳月が立ちました。  

                          
当時の日本経済は安定成長期で各社増収増益を継続中、多角化を推進して拡大を続けていた時代でした。丁度、今の中国のようでした。建設ラッシュで土地の価格は鰻上り、海外で日本円の強さを実感したころです。

この時代は、業績は右肩上がりがあたりまえ、企業の人事制度も終身雇用・年功序列・定期昇給といった制度が機能していました。当然、人材は流動化しておらず、新卒採用が主流であり、各社、採用には多額の費用を費やしていました。

転職はダークグレー的なイメージであり、転職者は大きなハンデを背負うことを覚悟しなければなりませんでした。この頃の求められる人物像は「会社の支持命令を忠実に守り実行する人材」でした。

1990年初頭、いわゆるバブル崩壊を境に、大きく価値観が変化しました。売上は横ばい、ましてや利益が落ちるなど考えもしなかった企業は、広げすぎた業務の整理に迫られ、多くの企業は年齢給の見直しと共に中高年層のリストラを実行、終身雇用に終止符が打たれました。

この現実を見た若年層は、これまでの会社と共存するスタイルから自分自身のキャリアを積むことを優先する価値観に変化し、特にこの意識変化は、クリエイターにも大きな影響を与えました。

クリエイターはもともと想像力が求められ、これまでの金太郎飴のように同じ価値観の人材を生み出す教育には向かず、個性が尊重されてきました。
  

型にはめる職種ではなかったため、組織に順応することより、仕事ができるかに重点が置かれていました。終身雇用の崩壊と共に自由度を失ったクリエイターはこぞって独立し、組織に属さないフリーランスのクリエイターが多数誕生しました。

しかし、予想以上に長引く経済の低迷により、フリーランスとして活躍していたクリエイターや個人事務所の制作会社が廃業に追い込まれて行きました。

様々な要因がありますが、企業側がこれまでの売上至上主義から利益重視へ転換を余儀なくされ、広告宣伝費の見直しが進んだことで、価格とスピードが求められ、その結果、Macの導入に拍車がかかり、さらにインターネットの普及が決定的な影響を及ぼしました。

このような背景のなか、当社はクリエイター専門の派遣事業を立ち上げたのでが、当時このような専門の派遣会社はなく、試行錯誤しながらの船出でした。

ちょうど不況時で、組織に定着しにくいクリエイターが多数フリーランス化していたため、当時のクリエイター派遣は働きやすい環境だったと思います。

現在、経済はガソリン価格の高騰により、物価が上昇し、逆に収入が減少する傾向にあります。団塊世代の大量定年退職が続き、若年労働者の減少、景気の動向はまたく不透明です。いつ企業を取り巻く環境が大きく変化しても不思議ではありません。

この様な時代、業績好調な少数精鋭の会社は業績を伸ばすチャンスになります。

これからの会社は、抱える社員が「人材」か「人財」か「人罪」かで業績が180度変わるといっても過言ではないようです。